江戸時代、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる102の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に麓と呼ばれる武家集落を作り、
鹿児島に武士団を結集させることなく分散して統治にあたらせました。知覧もその一つです。
「知覧麓の武家屋敷群は、薩摩の麓の典型的な作例の一つで、折れ曲がった本馬場通りに沿って連なる石垣と生垣からなる景観にも優れ、
我が国にとってその価値は高い。」として、昭和56年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
また、同時に地区内の7つの庭園が「優れた意匠で構成されており、その手法は琉球等庭園と相通じるものがあり、
庭園文化の伝播を知る上でも貴重な存在である。」として国の名勝に指定されました。
指定された7つの庭園の中で森重堅邸庭園のみが池泉式で、ほかは全て枯山水式となっていて、
今に残る枯山水の伝統美と時代の息吹を感じさせてくれます。